Last Update : Sep 6,2008


6月14日(土)

6月15日(日)

2008年6月14日(土)

 今回の旅行は僕の父の古希のお祝いが目的。本当は僕たち夫婦と両親の4人で行く予定だったんだけど、都合により僕の妻はキャンセル。結局2001年のアメリカ旅行以来の親子3人旅となった。僕が一旦実家に帰ってそこから車で出発するという段取りだ。梅雨時なので行く前までは雨予報でがっかりしていたのに、行ってみたら天気予報は晴れに変わった。ラッキー!

 目的地の京都北部、丹後地方に実家の奈良からまっすぐ行く道は一般道が中心になってしまうので、自動車専用道路で大阪、神戸を経由して中国自動車道から舞鶴若狭道で行くのがもっとも時間がかからないと判断した。カーナビにもそう表示されたしね。

 朝8時過ぎに出発して、大阪市内と宝塚付近で少し渋滞があったものの、順調に走って11時半に最初の目的地である舞鶴引揚記念館に到着。着いてしまったので昼ご飯は後回しで、まずは記念館を見学することにした。入館料は大人1人300円。


舞鶴引揚記念館

舞鶴引揚記念館

 舞鶴港は第二次世界大戦が終結した昭和20年から昭和33年まで、中国など海外にいた一般日本人、進駐していた日本兵、また旧ソ連(シベリア)に不法抑留されていた日本兵が日本に帰国するための受入れ港であった。当時海外に残された日本人は660万人以上と言われ、その人たちを速やかに帰国させること、これを引き揚げと言ったそうです。戦争に行った夫や恋人、息子の帰りを岸壁に立って待つ母や妻は「岸壁の母、岸壁の妻」と呼ばれたそうだが、ここ舞鶴では実際にそういった光景が何年も続いたそうだ。双葉百合子さんの「岸壁の母」という歌もこの光景を歌ったものだ。

 僕の祖父(僕の母の父親)は終戦直前に招集され、終戦直後にシベリアに抑留され約2年間強制労働を強いられたそうだ。極寒のシベリアでの労働はそれは過酷だったそうで、80kgあった体重が帰国時には半分近くにまで落ちてしまったほど。そして祖父もまたこの舞鶴港において帰国をはたしたそうで、母が一度行ってみたいと言っていたため今回の訪問となった。

 記念館の展示は戦争中の悲惨な状況などを今に伝える貴重なものが多数あった。昨年の鹿児島旅行で訪れた知覧特攻平和会館で見た戦争の記録と同じく、後世に平和の大切さを伝えるための記録である。特に僕の祖父が体験したと思われるシベリアでの過酷な抑留生活。当時47万2千人もの日本人が収容所で過ごした集団生活の様子や抑留生活の悲惨な状況を、残存している当時の品々や生存者が語った当時の記録、そして再現セットなどで伝えてくれる。これらの展示を見ると二度と戦争をしてはならないとあらためて心に誓う。
 1時間ほどで展示を見終わった後、高台にある展望台に上ってみた。引揚げ船が航行してきた海と接岸した桟橋が上からよく見えた。展望台には岸壁の母/異国の丘の歌碑、平和の群像などのモニュメントがあった。


舞鶴引揚記念館の高台にある歌碑

舞鶴引揚記念館の高台にある平和の群像

 引揚記念館を見終わった後、展望台からも見えた復元桟橋に車で行ってみた。実際に帰国した人が母国に第一歩を踏み入れた場所に桟橋が再現してある。たもとには語り部の鐘が設置してあり、三度ならして平和を願おうと書いてあった。三人で一度づつ鳴らして平和を祈った。桟橋から見た陸が祖父が帰国して見た母国の景色だと思うと胸がジーンとした。


高台から見た桟橋

近くで見た桟橋

 13時半に舞鶴を後にして、天橋立に向けて出発した。しかし重大なことを忘れている。昼ご飯を食べていないことだ。今夜は海の幸の料理が待っているのであまりたくさん食べると、晩ご飯が食べられなくなる。ということでそば屋を探して車を走らせていたら、はなまるうどんの看板が目に入り、空腹に耐えきれず入ってしまった。うどんのファーストフードの店だったけど、麺にコシもしっかりあってとっても美味しかった。晩ご飯を考えて控えめにと思っていたが、親父はがっつり食べていた。。。

 食後はまたしばらくドライブ。一般道を日本海沿いに走って15時半頃天橋立の近くにある今日の宿、鳥喜に到着。天橋立の南側にある文殊院のすぐそばで、観光にはいい場所だ。駐車場への入り口がちょっと分かりにくかった。鳥喜という旅館は6部屋しかないこじんまりした旅館。でも料理旅館と銘打ってるからにはご飯は期待出来そうだ。通された部屋はかもめの間。1階の一番奥の部屋だ。この旅館は天橋立温泉ということだったけど、男女別の浴場は人工温泉で、天然の天橋立温泉は貸し切りの家族風呂であることが現地で判明。ちょっと話が違うんでない?と思いつつ、お茶を一杯いただいてから天橋立ビューランドに出かけた。


天橋立ビューランドの入り口

天橋立ビューランドの山頂

 車で行ってみたもののすぐそばだったのと、山頂に登るモノレール乗り場の近くに有料駐車場しかなかったので、両親を降ろして、車を置きに再び旅館へ戻った。徒歩でモノレール乗り場に戻ってから、モノレールに乗って山頂へ行った。ビューランドに上るにはモノレールとリフトの2種類があって料金は同じ往復850円。リフトはスキー場にある1人乗りリフトで結構怖そう。僕たちはモノレールをチョイスした。かなりの急勾配をモノレール、というかケーブルカーで約6分上ると有名な天橋立の景観が眼下に広がる。ここからの眺めは飛龍観と呼ばれ、龍が天に舞い昇る姿を表していると言われている。さすが日本三景に指定されているだけあってその景観は美しかった。そしてやはり有名なのは股のぞきだ。股の間から天橋立を見ると天地逆転によって、天に架かる橋のように見えるらしい。股のぞき台というのが何カ所かあってやってみた。しかし草が結構生えていて今一よく見えなかった。残念。


天橋立ビューランドから見た天橋立

股のぞきで見えた天橋立

 ビューランドは遊園地で観覧車などいくつかの乗り物があったが閑散としていた。せっかく登って来たので一通り散歩して、またモノレールで下に下りた。旅館に帰る前にちょこっとあるお土産屋通りを歩き、文殊院に寄ってみた。日本三文殊院の一つである智恩寺。大きくはないけどゆったりと構える建物は貫禄があった。

 旅館に戻ると18時前。夕食は19時なので、まずはお風呂をいただくことに。天然温泉はすでに使用中だったので、人工温泉の男女別風呂に入った。部屋数が少ないからだと思うけど、浴場もこじんまりしていて、3人が定員だった。人工温泉とは言ってもゆっくり浸かって今日の疲れは吹っ飛んだ。久しぶりに親父と温泉に入れて気持ちよかったね。

 夕食はお部屋で海の幸のコース。旬のトリ貝ももちろんあって大満足でした。あじさいが添えてあったのも季節感があってよかった。古希のお祝いなのでシャンパンと行きたかったけど、泡盛を持ち込んで親父と二人で飲み干し結構酔っぱらってしまった。もちろん持ち込みは旅館の許可をいただいてますよ。


旅館鳥喜のカモメの間

海の幸ディナーの一部(お刺身)

 食後、親父は即瀑睡、僕とお袋はテレビで「古畑中学生」を見てから就寝。明日は天橋立を歩くから楽しみだ。

→ 翌日(6/15)


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